北海道に移住して35年。深い森の中で、私は静かに暮らしてきました。
順調だったわけではありません。失ったものもあれば、手放した時間もあります。
一度閉じたVeganカフェの灯りを、もう一度この森で灯そうと思ったのは、何かを証明したかったからではなく、ただ「まだ続いている」と感じたからでした。
これは成功の物語ではなく、遠回りをしながら、自分の場所へ戻っていくまでの記録です。

自宅カフェを始めるまで ──2017年、釧路
最初の自宅カフェを始めたのは、2017年の夏、釧路市でのことでした。当時の私は、生活も働き方も人間関係も、どこか「自分のものではない」場所に立っているような感覚のまま、いつかは自立したいと思いながら、どう動いていいか分からない日々を送っていました。
そんなとき、「ここで、人が“おっ”と思う空間をつくってみないか」という話が持ち上がりました。使われていなかった家は物置状態でしたが、西側には春採湖が一望できる素晴らしい風景が広がっていました。その風景を取り込めるよう、外壁から室内の壁・天井・床・水回りまで、家のほぼ全部を作り変える計画でした。しかも、自分たちの手で。壁を壊す最初の一投は、その年の2月15日。上の娘の誕生日だったので、よく覚えています。
経済的な余裕はなく、ひとりで生きていくことを現実的に考え始めていた頃。「何ができるか」よりも「何なら続けられるか」を必死で考えていました。隣の家には、結婚した下の娘と2歳の孫が住んでいて、孫の成長を見守りながら暮らしのそばで働く——その距離感は、当時の私にとても自然なものでした。壁や天井を落とす作業は、マスクをしても鼻の穴まで真っ黒になる毎日。大変だったけれど、本当に楽しかった。そして8月8日、満月の日。多くの友人から贈られた花で満ちたオープン初日のことは、今も忘れられません。
ひとりで切り盛りし、買い出しも仕込みもひとりで。初めての経営の不安から、朝は近くの老人施設で朝食を作るアルバイトもし、元パートナーの仕事を手伝い、娘が出産した助産施設で食事の提供もしました。自分のカフェを維持するために、懸命に働きました。それでも、あの自宅カフェで過ごす時間も、集まるお客さんとの会話も大好きでした。釧路の日々は、今振り返っても感謝しかありません。
なぜ「Vegan」だったのか

カフェを始めるとき、メニューをVeganにすることに迷いはありませんでした。改築を手伝ってくれた友人がインド帰りのヴィーガンで、一緒に台所に立つうちに、野菜だけでも十分に満たされることを知ったからです。お肉やお魚を否定しているわけではありません。その日の気分や体調で食事を選べること、それがその人に一番合った食事だと思っています。ファスティングアドバイザーの資格を取っていたこともあり、振り返れば、私はずっと「食」について考えながら生きてきたのだと思います。
当時、隣に住んでいた娘が、Veganのスイーツを焼いてくれていました。卵もバターも上白糖も使わないお菓子づくりは簡単ではなく、子育ての真っ最中なのに、何度も試作を重ねてくれました。「悔しいから」と言って、はちみつに代わる甘味を探し続けてくれた娘。あの時間がなければ、釧路の「にっこりカフェ」は成り立たなかったと思います。
釧路での5年間と、静かな転機
2017年にカフェを始め、翌2018年には民泊の許可を取り、2階の一室を民泊として開業しました。けれど2019年に元夫が他界し、2020年にはパンデミックが始まり、街の空気が変わりました。そして2021年の冬、大家さんのご家族から「建物の買い取りか、退去か」という話があったのです。
老朽化した建物を抱えるのか、それとも3年間空き家になっていた森の家へ戻るのか。
通帳の数字も、体力も、気力も、どこを見ても余裕はありませんでした。
娘たちとも話し合い、私は森へ戻ることを選びました。
釧路から内陸へ70キロ、小さな町の森の中へ。気力も体力も経済力も全部出し切って、ギリギリいけるかどうかの大きな選択でした。
正直に言えば、釧路の店は赤字経営で、長く続けられる形ではなかった。
それでも、背伸びせず「今できること」で成り立たせていたあの時間を、否定する気持ちはありません。よくやっていたね、と今は思えます。
釧路から、森の家へ還る

2022年1月2日、私はお正月早々、信頼している大工さん(本業は別)のもとを訪ねました。「今、手を入れないと、この家はもっと傷むよ」。27年前に自分たちで建てた家は、3年間の空白を経て、想像以上に傷んでいました。私が家を出てからは13年。資金のこと、掃除のこと、修繕のこと、考えることは山ほどあり、気が遠くなりました。
それでも、北海道の春は短い。夏を逃せばまた冬が来る。迷っている時間はありませんでした。「直せば住める」その言葉に背中を押されるように、私は森の家に還る準備を始めたのです。
春から修繕に入ってもらい、私は月の半分を釧路でVeganカフェ、半分は森から通える飲食店でアルバイト、という生活を始めました。釧路では営業しながら引っ越しの片付け、森では空き家3年分の掃除と片付け。あまりの忙しさに、何をどうしてこうなったのか記憶がないほどでした。「娘たちに廃墟を残すわけにはいかない」——その一心でした。
2017年8月8日にオープンしたカフェは、2022年8月8日を閉店の日としました。最後の営業のあと、常連さんたちがカラオケ会を開いてくれて、楽しかった釧路の日々に、愛と感謝で一区切りをつけられました。
薪ストーブの復活と、拠点が一つになった冬

森の家で冬を越すための一番の心配は、家の中心にある薪ストーブでした。長く使っていなかったので、専門店にメンテナンスをお願いしました。使えなければオブジェにして花でも飾ろうか——そんな覚悟もしていましたが、祈るような気持ちで待った結果、薪ストーブは「使える」状態に蘇りました。本当に嬉しかった。すぐに薪を購入し、ひと冬分の薪が庭に山積みに。娘が薪積みを手伝いに来てくれて、薪ストーブのある暮らしがまた始まるのだと、少しずつ実感していきました。
引っ越しも終わり、薪ストーブも稼働し、大きな仕事をひとつ終えた冬。ひとりで過ごす森の家は、13年前に「もう絶対帰らない」と誓って飛び出した家でもありました。しんと静まった空間で、元夫や子どもたちと過ごした日々や、飛び出したときの感情が静かに渦巻きました。
手放しで幸せというより、これまで生きてきたことに向き合う時間。けれど春が近づく頃には落ち着き、この場所へ私を連れてきてくれた元夫への感謝や、釧路のカフェをやらせてくれた元パートナーへの感謝を、はっきり感じられるようになっていました。
かつては許せなかったことも、すべてが今の自分を形づくる大切なピースだったと、深く思える冬でした。
そして、森のいえ計画へ

2023年、雪がゆるみはじめた頃、私は次のことを考え始めていました。家の台所だった場所を、保健所の許可が下りる厨房に整える——もう一度、この森の家を自宅カフェにできないか。釧路での経験と、あの場所を愛してくれたお客様の声が、背中を押してくれました。前年の秋からリフォーム会社を探し、相見積もりを取り、町の事業資金にも申請するため準備を進めました。自己資金は十分とは言えず、無謀だという自覚はありました。それでも、止まる理由にはなりませんでした。
役場へ行き、銀行へ行き、また役場へ、また銀行へ。けれど、ある日、銀行の担当者から告げられたのは厳しい現実でした。自己資金が不足していること、年齢が融資の上限に近いこと、そして家の名義が娘になっていること。「このままでは審査は通らない」と。
私は「もういいです。全部やめます」と言って帰りました。帰り道のことは、あまり覚えていません。
森の家で静かに暮らしていけばいい。雨風をしのげる家はある。贅沢しなければいい。借金を抱えないのは、むしろ気楽だ——そう自分を必死に納得させようとしました。
なのに、その二日後。私は銀行の担当者に電話をかけていました。
「もう一度だけ相談させてください。先日の発言は撤回します」。
執念だったのかもしれません。このまま終わったら、いつか世を去るとき「どうしてもう少し頑張らなかったのか」と思う気がしたのです。それが嫌だった。
もう一度、何度でも頭を下げよう。理屈よりも、引き返せない気持ちのほうが勝っていました。
見えないお金、そして娘の味噌汁
工事の許可を待つあいだも、私は飲食店と、峠を越えたコンビニのお弁当づくりを掛け持ちしていました。「見えないお金がかかる」と、誰かが言いました。お金は通帳を見れば分かる。けれど体力や気力、「ちゃんと生きている感覚」は、失われるとき、ほとんど音を立てません。月曜火曜は朝早くから峠を越えてコンビニ、木曜から日曜は地元のケーキ店とレストラン。「今は仕方ない」「終われば戻る」と言い聞かせ、自分のことを後回しにしていました。
でも、身体は正直でした。ちゃんと食べていないこと、休んでいないことが、不調として返ってきたのです。
ダウンした日、下の娘が食材を届けてくれました。「お母さん、味噌汁ぐらい飲んでないとダメ。ご飯に具沢山の味噌汁、それで結構維持できるよ。」
昔、私が言っていたような言葉を、逆に娘から言われたのです。
はっとしました。誰かのために食事を作る前に、まず自分が食べていなかった。
続けるためには、削らないことがいちばん大事。ようやく身にしみました。
見えないお金は確かにかかる。でも、見えない無理のほうが、あとから重くのしかかる。
ちゃんと食べて、ちゃんと眠る。それだけのことが、いちばん難しく、いちばん大事だったのです。
そんな6月のある日、アルバイト帰りに銀行からの着信に気づきました。折り返すと、「希望額で融資が決まりました」。電話を切ったあと、しばらく放心状態でした。数日後には役場からも補助金の連絡があり、条件が静かにそろって、工事の日取りも具体的になっていきました。その年の9月末、峠を越えて通っていたコンビニの仕事を辞めました。
フードセラピー森のいえ、開業

多くの皆さんに見守られながら、2023年10月1日、『フードセラピー森のいえ』が静かにオープンしました。大きなイベントはせず、「オープンお茶会」という小さな時間を用意しただけ。
それでも、釧路のカフェで出会った人たちが何人か「また会えたね」と笑いながら森まで足を運んでくれて、それぞれの話に花が咲きました。釧路から森へ引っ越すと決めてから、足掛け3年。やっと辿り着いた、自宅カフェというかたち。もう一度ここから始められることが、ただ、ただ、嬉しかったです。
これが、私が森でヴィーガンカフェを営むまでの物語です。森のいえの今のご案内はフードセラピー森のいえのご案内に、開業の具体的な準備は森でカフェを開くまでの現実的な準備にまとめています。遠回りをしながら、それでも「食」のある場所に立ち続けてきた時間が、この森の小さなカフェにつながっています。


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