北海道移住30年の私が森でVeganカフェを始めるまで|再出発と夢の実現ストーリー

カフェ運営の裏側

北海道に移住して30年。
深い森の中で、私は静かに暮らしてきました。

順調だったわけではありません。
失ったものもあれば、手放した時間もあります。

一度閉じたVeganカフェの灯りを、
もう一度、この森で灯そうと思ったのは、
何かを証明したかったからではなく、
ただ「まだ続いている」と感じたからでした。

これは成功の物語ではなく、
遠回りをしながら、自分の場所へ戻っていくまでの記録です。

自宅カフェを始めるまでの話 ──2017年、釧路

自宅カフェを始めたのは、2017年の夏、釧路市でのこと。
当時の私は、生活も働き方も人間関係も、
どこか「自分のものではない」場所に立っているような感覚のまま

いつかは自立したい。
そう思いながらも、どう動いていいかわからなく、
なんとももどかしい日々を送っていました。

そんな時に、「ここで、人が“おっ”と思う空間をつくってみないか」
という話が持ち上がった。

使われていなかった家は、物置き状態だったのですが、
西側には春採湖が一望でき、素晴らしい風景が広がっていて

風景を取り込めるよう外壁を含め、室内の壁や天井、床、水回りまで、
家のほぼ全部を作り変える計画だったのです、しかも自分たちの手で。

部屋の壁を壊すための最初の一投は、その年の2月15日の事
上の娘の誕生日だったのでよく覚えています。

それから、8月8日の満月の日に迎えたオープンまでの時間は、
長いようで短く、その間に、さまざまな感情の起伏を経験した。
あの頃が、自分の人生の中でもひとつのピークだったのだと思います。

経済的な余裕は無かったけど、
ひとりで生きていくことを、現実的に考え始めていた頃だったので

できることは限られていて、「何ができるか」よりも、
「何なら続けられるか」を必死で考えていたように思います。

ちょうどその頃、
隣の家には、結婚した下の娘と、2歳になった孫が住んでいたので、

孫の成長を見守りながら
暮らしのそばで働く、という形は、その頃の私にとって、
とても自然な距離感だったと思います。

壁や天井を落とす破壊の作業は、マスクをしていても
鼻の穴まで真っ黒になり、

毎日毎日、改築工事をした2017年冬〜夏の季節
今ではとっても貴重な、いい経験だったと思うのです
大変だったけど本当に楽しかった。😊

そして多くの友人達から贈られた花で満ちたオープン初日のことは
やっぱり忘れられない思い出です。

ひとりで切り盛りし、ひとりで買い出しに行って、仕込みして・・・
だけど、初めての経営だったのと、先の不安感から
朝だけ近くの老人施設で、朝ご飯を作るアルバイトもしたり・・・

自分のカフェを維持するために、働きました。懸命に。
オープン当時はまだ元カレさんの仕事の日は
帰って彼の仕事を手伝ってもいたし、

時々、娘が出産した助産施設で食事の提供もさせてもらっていたのです。

自宅カフェ。
老人施設での朝食作りのアルバイト。
元カレさんの仕事。
助産施設での食事の提供。

『自宅カフェ』で過ごす時間が大好きだったし
そこに集まるお客さんとの会話も楽しくて
釧路の日々を振り返ると、仲良くなった人たちもいるから
貴重な時間だったと、感謝しています。

なぜ「Vegan(ヴィーガン)」だったのか? 食へのこだわりとファスティングの知識

Veganランチ

カフェを始めるとき、メニューをVeganにすることに迷いはなかった。

改築を手伝ってくれた友人がインド帰りのヴィーガンで、
一緒に台所に立つうちに、野菜だけでも十分に満たされることを知ったからです。

お肉やお魚を否定しているわけではなくて、
その日の気分や体調で、食事を選べること、
それがその人にとって一番合った食事なのだと思う。

ただその判断が、現代ではとても難しくなっている。
そんな事を日々感じていたので、なおさらVeganという選択は私にとって
受け入れやすいものだったのです。

ファスティングアドバイザーの資格を取っていたこともあり、
振り返ってみると、
ずっと「食」について考えながら生きてきたのですね。(笑)

当時、隣に住んでいた娘がVeganのスイーツを焼いてくれていました。

卵もバターも上白糖も使わないお菓子づくりは簡単ではなく
何度も試作を重ねてくれました。

けれど、孫はまだ2歳。
子育ての真っ最中だった時期に

今思えば、私はずいぶん無理を言っていたのだと思います。

それでも娘は、「悔しいから」と言って、
ハチミツを使わずに甘味を探し続けてくれたのでした。

あの時間がなければ、
釧路での『にっこりカフェ』は成り立たなかったと思ってます。

釧路での5年間と、静かな転機

釧路市でVeganカフェを始めた2017年。
翌2018年には民泊の許可をとり2階の一室を民泊として開業。

2019年、元夫が他界し
2020年にはパンデミックが始まり、街の空気が変わりました。

2021年の冬、大家さんのご家族から
建物の買い取りか退去か、という話があったのです。

考える時間はそれほど長くはなく、

老朽化した建物を抱えるのか、
それとも、三年間空き家になっていた森の家に戻るのか

通帳の数字も、体力も、気力も、
どこを見ても、余裕はなく

娘たちとも話し合い、
私は森へ戻ることを選んだのです。

釧路市から内陸部へ、70キロほど。
小さな町の、森の中。

気力も、体力も、経済力も、
全部出し切って、
ギリギリいけるかどうかの大きな選択でした。(笑)

当時を振り返ると
何があったか覚えてないほど、やることだらけでした。

振り返れば、釧路の店は赤字経営だったのです。
長く続けられる形ではなかったと今は思ってます。

けれど当時の私には、あのやり方しかできなかった。

背伸びもせず、計算もしすぎず、
ただ「今できること」で成り立たせていました。

だからこそ、
あの時間を否定する気持ちは、全く無くて

よくやってたね、と今は思うのです。

釧路から森の家へ還る

釧路市のお店を畳んで、森の家へ戻る決心をした頃は

どうやって、あっちとこっちを片付けて、
どうやって、修繕費用を捻出し、
どうやって、生活のためのお金を稼ごうか・・・
そんな事ばかり考えていたのです(笑)

それでも2022年1月2日、
私はお正月早々に大工さん(本業は大工さんではないけど)のもとを訪ねました。

「今、手を入れないと、この家はもっと傷むよ」

信頼している人にそう言われて

27年前に自分たちで建てた家は、
三年間の空白を経て、想像以上に傷んでいた。
私が家を飛び出してからは13年にもなっていて

正直、気が遠くなりました。

資金のこと、掃除のこと、修繕のこと。
考えることは山ほどありました。

「直せば住めるだろうけど・・・」
「今、手を入れないと、この家はもっと傷むよ」

そう言われて、私は焦りました。

冬の間に予定を決めなければ、春はすぐに来てしまうから
迷っている時間はなかったのです。

必死だったと思うんです

早く伝えなければと思ったし
こちらは本気なのだと、分かってもらわなければと思って・・・

家の状態も、資金のことも不安だったけれど、
立ち止まる余裕はなかったのです。

「直せば住める」その言葉に背中を押されるように、
私は森の家に還る準備を始めました。

 

釧路と森を往復した半年間

春を待って、森の家の修繕に入って貰えることになり
私はそのまま月の半分を釧路市でVeganカフェを続け
半分は森の家から通える距離にある飲食店でアルバイトを始めました。

1ヶ月をふたつに分けて、釧路にいる間は釧路のお店を営業しながら引越しの準備。
(不用品の片付けと掃除)

森の家に居る半月は空き家になって3年分の
掃除と片付けと、その他諸々・・・

今、私がこの家に手を入れなくては・・・
娘たちに『廃墟』を残すわけにはいかない・・・

当時を思い出すと、あまりの忙しさに
何がなんだか、何をどうしてこうなったのか・・・
ほぼ記憶が無いです・・・(笑)

とにかく年内に釧路のカフェを閉店し
秋には引っ越し完了させて、生活の拠点を1箇所にしたい
その一心で、あっちとこっちの片付けと掃除を続けていた。

そして気がついたら、修繕も終わって、トイレの床と新しい仕切り壁、
台所奥の部屋の床、そして2階の天井が綺麗になっていた。

もう住める!!2022年の冬はここで生きるぞ!!

2017年8月8日にオープンしたカフェは
2022年8月8日を閉店の日としました。

カフェを愛してくれた多くのお客さんと最後の営業が終わってから、
女子会と称して集まっていたメンバーがカラオケ会場を設定してくれて、

楽しかった釧路の日々に愛と感謝で一区切りできたのです。
そうやって夏も過ぎ・・・

もう森の家への引っ越しを決めなきゃならない時が来て
名残惜しい釧路での日々にお別れする日を10月18日と決めたのです。

何回にも分けて段ボールに入る荷物は自分で運び、
大きな荷物だけ、引っ越しの業者さんにお願いしましたが
Wi-Fiの移動には、連絡その他に1ヶ月かかりました。

森の家で冬を越すための心配は
家の中心にある『薪ストーブ』のことでした。

灯油のストーブと外のタンクは釧路からの引っ越しが完了していて
いつでも使える状態になってはいたものの・・・

ず〜っと使っていなかった薪ストーブをなんとか活かしたい・・・
だから、専門店にお願いしてメンテナンスをしてもらったのです。

使用不可だったら、部屋のオブジェとして置いて
花でも飾ろうかな・・・
でも灯油ストーブだけじゃ、暖かみが全然違うし
なんとか使用できるようになって欲しい・・・

祈るような気持ちでメンテナンスをお願いしたのを覚えてます。
メンテナンスをしてもらったら
薪ストーブが「使える」状態に蘇りました!!

なんて嬉しい、本当に嬉しかった。
メンテナンスの作業をしてくれた業者さんに何度もお礼を言って

その後、すぐに薪を購入し、ひと冬分の薪が到着しました。
庭に山積みとなったままの薪をルンルン気分で積んだ秋の日は

またこの家に住むという実感は無かったけど
作業は淡々と続けたのです。

そんな中、薪を積む手伝いに娘が来てくれたりして・・・
薪ストーブのある暮らしが、また再開できるなんて・・・と

やっと実感していきました。

拠点が一つになった冬

ダメかもしれないと、半分あきらめていた薪ストーブが使えるようになり、
薪を焚いてみると、暖かさが家全体に広がっていきました。

週に3、4日間、飲食店のアルバイトを続けながらの森暮らし

引っ越しも終わったし、薪ストーブも稼働できるし

大きな仕事の一個は終わったということで
その冬は本当に、ゆ〜っくりと幸せだったのです。

ひとりで過ごす森の家は
13年前に「もう絶対帰らない」と誓って飛び出した家でもあったから

しんと静まり返った空間には、
元夫や子どもたちと過ごした日々、
そして、あの時、飛び出したときの感情が、静かに渦巻いていました。

実際のところ、手放しで幸せに浸っていたというより、
このように生きてきたことへの、さまざまな想いに向き合う時間だったのです。

だからしばらくは感情がとても忙しかった・・・(笑)
でもそれも春を迎える頃になると
次第に落ち着いていき、

別れてしまったとはいえ、
この場所へ私を連れて来てくれた元夫への感謝や

釧路のカフェをやらせてくれた元彼さんへの感謝を
ハッキリと感じられる時間も増えていました

かつての自分なら許せなかったことも、
すべてが今の自分を形成する大切なピースだったのだと、
深く感謝できるようになった冬でした。

そして、森のいえ計画へ

冬が終わり、雪がゆるみはじめた頃、
次のことを考えはじめていました。

2023年。

家の台所だった場所を、
保健所の許可が下りる厨房に整えるということです。

前年の秋からリフォーム会社を探し、
見積もりを取り、相見積もりもお願いして準備してきました。

町の事業資金に申請するためにも、
工事の見通しを立てる必要があり

自己資金は十分とは言えなかったし
それでも、やると決めていたのは

無謀だという自覚はあったけれど、
止まる理由にはならなかったのです。

釧路での経験と、あの場所を愛してくれたお客様たちの声が、
私の背中を押してくれました。

この森の家も、もう一度「自宅カフェ」として使えないだろうか
そう考えはじめたときには、心はほぼ決まっていたのです。

それからの日々は、
役場へ行き、銀行へ行き、
また役場へ行き、そして銀行へ行く、という繰り返しでした。

何度目かの相談の日、
銀行の担当者から告げられたのは、簡単ではない現実でした。

自己資金が不足していること。
年齢が融資の上限に近いこと。
そして、家の名義が娘になっていること。

つまり――
「私の家ではない」という理由も含めて、
このままでは審査は通らない、ということだったのです。

「もういいです。全部やめます。無理ってことですよね?」

そう言って、私は帰った。
帰り道のことは、あまり覚えていない。

ああ、ここまでかもしれないな、と思って

もう十分やったのだから、
これ以上は望まなくてもいいのかもしれないって

自分に言って
計画は終わりにしよう、と心の中で決めたのです。

森の家で、
静かに暮らしていけばいい。

それなら、それでいい。

そう自分に言い聞かせていました。

生きてはいける。
雨風をしのげる家はある。
贅沢しなければいい。
使えるものを使って、
足りないものは工夫して、
ひとりでも大丈夫だ、と。

それに、借金を抱えることも無いって
実は気楽だ、そうだよ、そうやって生きていけるさ

なんとしてでも自分を納得させようと
必死だった。

なのに、その二日後
銀行の担当さんへ電話をかけていた。
「もう一度だけ、相談させてください。先日の発言は撤回します」

そう言って、
再び、お金を借りるために動き出したのです。

執念だったのかもしれないです。

このまま何もせずに終わったら、
いつか自分が世を去るときに、

「あのとき、どうしてもう少しだけ頑張らなかったのだろう」

そう思う気がしました。

それが嫌だったのです。

もう一度、頭を下げよう。
必要なら、何度でも下げよう。

お金を借りて、
保健所の許可が取れるように整えて、
もう一度やってみたい。

理屈よりも、
引き返せない気持ちのほうが勝っていました。

始まる前の、いちばん長い日々

リフォーム業者さんには、
「銀行と役場のOKが出たら連絡します」と
何度も伝えていたのです

北海道の春は短い。
夏を逃せば、また冬が来る

待つ時間が、いちばん長く感じました。

何も進展ないまま、新緑の季節がやってきていました。

そんな6月のある日、
アルバイト帰りに銀行からの着信に気づいたのです。

折り返すと、
「希望額で融資が決まりました」と告げられました。

電話を切ったあと、しばらく動けなかった、というか放心状態。
数日後、役場からも補助金の連絡があり

こうやって静かに、条件がそろっていって
工事の日取りも、ようやく具体的になったのです

草木が芽吹きはじめ、
日々は静かに過ぎていって

けれど、銀行からも役場からも、
なかなか返事は来なかったので焦ってました。

この土地では、冬が長い。
夏のあいだに動かなければ、また雪に閉ざされてしまう。

業者さんも早く決めたいだろう。
私も、これ以上足踏みはできなかったのです。

もし銀行も役場も通らなかったら
そう思うと、焦りが少しずつ膨らんでいた頃は・・・

今思うと、ホントに先が見えない状態でした。

 

もう一つの時間

この頃、私は、飲食店のほかに
もう一つの仕事を掛け持っていました。

週に三、四日は飲食店。
その店が休みの週二日は、
峠を越えたコンビニでお弁当を作っていたのです。

思い返せば、
釧路でカフェを始めた頃も、
一年ほど老人施設で朝食をつくる仕事をしていたのですが、

同じようにいくつか仕事を掛け持つことも自然でした。

飲食店で働き、コンビニでお弁当を作り、
施設で食事を整える。

場所は違っても、
どこも「食」のある現場だったのには

特別な理由があったわけではないのです。

理由は単純ですよ。

少しでも稼がなければならなかったから。(笑)

理想や信念というより、生活のため。

ただ、それでも不思議と、
私はいつも「食」のある場所に立っていました。

見えないお金

「見えないお金がかかる」と、誰かが言いました。

リフォームをするときも、
新しく自宅カフェを始めようとするときも、

何かを変えるたびに、
見えないお金が静かに減っていく

お金は、数字で分かる。
通帳を開けば、残高は正直だけど

体力や気力、
「ちゃんと生きている感覚」は、
失われるとき、ほとんど音を立てないのです。

前年の釧路のカフェの閉店や引っ越しも、
今となっては、
どうやってやりくりしていたのか思い出せないほど、
ただ必死に過ぎていったので

気がつけば、
「見えないお金」よりも、
「見えなくなる自分」のほうが、
ずっと怖いのだと思うようになっていました。

工事期間の生活を思い出すと

月曜と火曜は、朝早くから峠を越えてコンビニへ
木曜から日曜は、地元でも人気のケーキ店とレストランで働いていました。

あの頃の私は、

「今は仕方ない」
「終われば戻る」

そう言い聞かせながら、
自分のことを後回しにしていたのです。

でも、身体は正直だった。
ちゃんと食べていないこと、
ちゃんと休んでいないこと、
それらが
きっちり不調として返ってきました。

ダウンしてしまった日
下の娘が食べれていない私に食材を届けてくれました。

「お母さん、味噌汁ぐらい飲んでないと・・・」
「ご飯に味噌汁、具沢山にして、それで結構、維持できるよ」と
昔私が言ってたような事を、逆に言われたのです。

そのとき、
私ははっとしました。

誰かのために食事を作る前に、
まず自分が食べていなかった。

続けるためには、
削らないことがいちばん大事なのだと、
ようやく身にしみたのです。

見えないお金は、確かにかかる。

でも、見えない無理のほうが、
あとから重くのしかかるのです。

ちゃんと食べて、
ちゃんと眠る。

それだけのことが、いちばんむずかしい
でもそれが、いちばん大事だったのです。

その積み重ねの先にしか、本当に続く「食の場」は
生まれないと、あの季節が教えてくれたのです。

その年の9月末、
峠を越えて通っていたコンビニの仕事を辞めました。

 

フードセラピー森のいえ

多くの皆さんに見守られながら
22年10月1日『フードセラピー森のいえ』が静かにOPENしました。

大きなイベントをするわけでもなく、
ただ「OPENお茶会」という小さな時間を用意しただけ。

それでも、釧路のカフェで出会ったことのある人たちが
「また会えたね」と笑いながら森まで足を運んでくれて、
それぞれの場所で、それぞれの話に花が咲いていた。

釧路から森へ引っ越すと決めてから、足掛け3年。
やっと辿り着いた、自宅カフェというかたち。

もう一度ここから始められることが、
ただ、ただ、嬉しかったです。

 

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