人生にはいつも猫がいた|三毛猫「はな」が森の家にやってきた日と、保護した猫との縁

猫と私の森暮らし

今、森の家には二匹の猫がいます。三毛猫の「はな」と、保護猫の「うた」。私はこの子たちを「セラピーCats」と呼んでいます。森の家を訪れた人を、そっと迎える小さなスタッフです。お食事のお客様がいらっしゃるときは、二匹は二階の部屋で待機(少し不満そうですが、ここは森の家のルール)。食後に「猫はどこですか?」と声をかけてくださる方がいたら、そのときに二匹を放つのです。もちろん、事前に猫アレルギーの確認をしてからになります。猫好きのお客様には、いつも大好評です。

この子たちと暮らしていると、ふと思うのです。振り返れば、私の人生にはいつも猫がいたな、と。この記事では、いちばん古い記憶である曽祖母の三毛猫から、忘れられない子猫、そして「はな」が森の家にやってきた日まで、私と猫との縁をたどってみたいと思います。

セラピーCATsの「はな」と「うた」

いちばん古い記憶|曽祖母の三毛猫

猫がいる風景として、私のいちばん古い記憶は、曽祖母が飼っていた三毛猫です。名前は覚えていません。まだ私が二歳か三歳の頃で、その猫は家と外を自由に行き来していました。昔の田舎の猫は、どこの家でもそんなふうに暮らしていたものです。朝になると外へ出て、気が向いたら戻り、縁側で丸くなったり、誰かの布団で眠ったり。猫はいつも、人の暮らしのすぐそばにいました。

幼かった私には、その三毛猫がずいぶん大きく見えました。きっと年老いた猫だったのでしょう。あまりに普通にそこにいたので、一緒に遊んだ記憶ははっきりしません。ある日、曽祖母が泣いていました。三毛猫の命が終わったのです。子どもだった私は「猫がいなくなって悲しいんだな」と曽祖母を見上げていました。そのとき大人の誰かが言ったのです。「ばあちゃんの猫だったんだよ」と。

今になって思えば、その三毛猫が亡くなったのは、曽祖母が八十歳を過ぎた頃でした。曽祖母の長い人生の、どれほどの時間を一緒に過ごしてきたのでしょう。今の私がそうであるように、曽祖母にとっても猫は暮らしの支えだったのだと思います。あのとき泣いていた理由を、私は大人になってから、少しだけ分かるようになった気がします。

子どもの頃、いつもそばに猫がいた

曽祖母の猫が亡くなり、やがて曽祖母も亡くなりました。けれど私の人生には、そのあともずっと猫がいました。「トラ」「チビ」「ミコ」「ミミ」「チコ」「プッチ」「ラッキー」。友だちの家の猫は「フチ」や「シロ」。名前も順番も全部言えたのは二十歳くらいまでで、今はもう、うろ覚えです。いろんな毛並みの猫が、ほとんど毎年のように入れ替わり、家に猫のいない季節はほとんどありませんでした。

帰ってこないままの猫もいました。道で見つけた子猫を連れ帰り「元いた場所へ返してきなさい」と叱られ、夕方に泣く泣く返しに行ったこともあります。学校でうまくいかず、放課後に遊ぶ友だちもいない時期は、いつも猫と過ごしていました。「この世界で一番、猫が好き。猫さえいれば生きていける」。子どもらしい極端な思いですが、それくらい猫が好きだったのです。近所の友だちとも遊んだはずなのに、振り返ると猫との思い出のほうが、ずっと深く残っています。

忘れられない子猫|引き離してしまった後悔

小学四年の頃、どうしても欲しくなって、友だちの家で生まれた薄いグレーの子猫を、親に無理を言って一匹もらってきたことがありました。けれどその子猫は、家に来て二日後の朝、家の前の側溝に落ちて亡くなっているのを見つけたのです。どんなに泣いても生き返りません。母は言いました。「だからまだ早いよと言ったでしょう。お母さん猫を探して落ちてしまったんだよ」と。

自分が無理に引き離さなければ、この子は死ななかった。そう思うと、悲しくて悲しくて、しばらく泣いていました。今になって思えば、これは命を預かることの重さを、子どもなりに学んだ出来事でした。子猫を母猫から早く離してはいけないこと。迎えるなら最後まで責任を持つこと。猫と生きてきた長い時間の中で、忘れられない教訓のひとつです。

三毛猫だけが、いなかった

こうして振り返ると、白猫も黒猫も虎猫もハチワレも、本当にいろんな猫が私のまわりにいました。けれど不思議なことに、曽祖母の三毛猫のあと、長いあいだ三毛猫だけはいなかったのです。たくさんの猫と出会いながら、三毛猫にだけは、なぜか巡り合わなかった。そのことに、当時は気づいてもいませんでした。

三毛猫「はな」との出会い|2023年9月9日

森の家にやってきた子猫の頃の三毛猫はな

そんな私のところに、ある日、三毛猫がやってきました。2023年9月9日のことです。関東と北海道を行き来して暮らす友だちから、動画付きのLINEが届きました。「数日前から庭の物置に子猫が住み着いていて、人影を見ると鳴くの。情が移るから餌はあげてないよ。もうすぐ東京に戻るんだけど、どうしよう、飼えない?」と。

動画を見て「あ、ミケちゃんだ」と思いました。けれど当時、森の家は台所のリフォームを終えてオープン直前。数日後には「うさと展」(手づくりの衣服『うさと』の展示販売会)も控えていて、「ごめん、今は無理」と返したのです。ところが翌日、またLINEが。「あまりに鳴いて喉も渇いていてそうで、メロン水をあげてしまった。私は今夜の最終便で関東に戻らなきゃいけないの。数日生き延びるだけかもしれないけど、放っておけなくて。」と……。

そのとき私は北見市の美容室にいました。「今夜、何時?」と聞くと「18時すぎに家を出る」との返事でした。「じゃあ今、北見にいるから2時間後くらいに見に行くわ」と返事をして、車を走らせました。「飼えないよ、自分一人でもいっぱいいっぱいなんだから」と思う自分と、「三毛猫なら女の子だ、女の子ならいいかな」と、もう飼う方向で考え始めた自分がいました。友人の家に着く頃には、名前まで決めていました。女の子だから「はな」って。

友だちの家に着くと、庭から猫の鳴き声。私が猫語で「こっちおいで〜、母ちゃんち行くか〜?」と呼ぶと、あっさり捕まりました。「よし、一緒に生きよう」。箱に入れて車に乗せ、帰り道のホームセンターで猫トイレと砂だけ買いました。餌を買うお金は、そのとき持っていなかったのです。家に着くと、はなは箱から飛び出して自分から家に入り、ずっと鳴いていました。その声は私に「ここが私のお家だ。お腹すいた〜」と聞こえました。急いで米を研いでご飯を炊き、味噌汁を作り、鰹節をかけた基本のねこまんまを、ふうふう冷ましながら食べさせました。はなはその日の夜から、私と一緒に寝ています。

9月9日に来た三毛猫は、森の家の「招き猫」

はなが来た2023年9月9日は、五節句のひとつ「重陽(ちょうよう)の節句」。菊で長寿や無病息災を願う「菊の節句」です。さらに「救(9)急(9)」の語呂から消防庁が定めた「救急の日」でもあり、「食べものを大切にする日」ともされています。再び食の場を始めようとする人のところへ、“食の日”に三毛猫がやってきた。森の家のオープン(10月1日)の直前というタイミングも重なり、私はこれを縁起のいいことだと、心から嬉しく思いました。

日本では昔から、三毛猫は福を呼ぶ存在とされてきました。招き猫のモデルの多くも三毛猫だと言われています。「ほら、はな、だからいい猫なんだよ」と、私は何度もはなに話しかけます。自分の年齢を考えれば、はなは一緒に暮らす最後の猫になるかもしれない。いちばん古い記憶が曽祖母の三毛猫で、今ここでまた三毛猫と暮らすことになって。だからきっと、はなは森の家の守り猫。そう決めているのです。

保護猫を迎えるということ

はなとの出会いは突然でしたが、迎えると決めてからまずしたのは、トイレと砂を用意することでした。餌より先に、安心して過ごせる場所を整える。これは保護猫を迎えるときの基本だと、経験から思います。また、森の家ではお客様をお迎えするため、猫アレルギーの確認を必ずしています。猫と人が気持ちよく過ごすための、小さな配慮です。

都会で暮らす娘たちは、はなに「母ちゃんに何かあったらLINEして」なんて冗談を言います。実際、私が転んだ時「痛い〜!」と叫ぶと、はなは必ずそばに来ます。電話やLINEはしませんが。朝、目覚めて布団の上にいないと「はな〜」と呼ぶ。すると必ずやってくる。猫がそばにいる暮らしは、こんな小さな安心の積み重ねでできています。

もう一匹の猫「うた」は、2025年の秋に保護したキジトラの女の子です。まだ小さかったうたは、最初こそ少し警戒していましたが、今でははなと一緒に森の家の暮らしにすっかりなじんでいます。はなとは性格も動き方も違いますが、二匹がいることで、この森の家の毎日はさらににぎやかで、あたたかいものになりました。うたとの出会いについては、別の記事でも少しずつ書いていきたいと思っています。

振り返れば、やっぱり私の人生には、いつも猫がいました。曽祖母の三毛猫から長い年月を経て、もう一度三毛猫が私のところへ来てくれた。森の家を訪れる方を迎えるセラピーCatsたちのことは、これからも少しずつ書いていきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました