毎日店を開かない私が、料理教室を続ける理由|森の家の暮らしと食の仕事

草刈りして開墾を進めている森の家の前に、夕日が差している風景 フードセラピー森のいえ
森の家の暮らしと食の仕事は、こんな風景の中から生まれています

毎日お店を開けて、決まった時間にお客様を迎える。
そういう営業スタイルに、今の私はいません。

北海道の森の中で暮らし、家のことをし、猫たちと過ごし、
季節に合わせて動きながら、アルバイト的な外の仕事にも出ています。

自分では、森のいえの活動が『本業』だと思っているのですが
いかんせん、それだけでは生活が成り立たないし
副業の方が本業よりもたくさん稼げてるのは事実なんです。

そんな日々の中で、時々、食事の場や料理教室を開いています。

「毎日やっていないのに、料理教室をする意味はあるの?」
そう思われるかもしれません。

でも私にとっては、毎日開いているかどうかよりも、
どんな思いで、その場をつくるのかの方が、ずっと大切です。

今日は、今の私の生活スタイルと、
それでも料理教室を続けていきたいと思う理由について書いてみます。

今の私は、毎日店を開く暮らしではない

森の暮らし、薪を割る作業、休憩に一杯のコーヒー

薪割り作業の合間に、ほっとひと息のコーヒー

以前の私は、今よりもっと「お店」に近い形で動いていた時期もありました。
釧路で過ごした5年間は、その形を模索していた時間だったと思います。

けれど今は、北海道の森の中にある自宅で、
年齢や体力、そして暮らし全体のバランスを見ながら動いています。

毎日店を開くような、一般的な飲食店の形ではありません。
それでも、食の発信基地として、自分の中にまだある「伝えたい」という気持ちと
小さな喜びを手放さずに、『フードセラピー森のいえ』を続けています。

季節によって、私の暮らしは大きく変わります。
雪に向き合う時期もあれば、草木の勢いに追われる時期もある。

家のことだけでもやることは尽きません。
さらに今は、暮らしを支えるために外の仕事にも出ています。

無理を重ねてどこかで途切れてしまうより、
今の自分に合う歩幅で、きちんと続けていくこと。
今はそれが、いちばん誠実な形だと思っています。

家の中のことだけでも、やることはたくさんあります。
季節が変われば、外仕事も増えます。
雪が残る時期と、草が勢いよく伸びる時期とでは、
動き方もまるで違います。

そこに加えて、今は外の仕事にも出ています。
自分の本業以外の仕事も楽しいから『二足のわらじ』で生きています。

無理を重ねて続かなくなるより、
今の自分に合った形で、きちんと続けていくことの方が大事だと思うようになりました。

森で暮らすことは、生活そのものが仕事につながっている

森の家での暮らしは、ただ「住んでいる」だけでは成り立ちません。

薪のこと、寒さのこと、家の手入れ、庭や周りの環境、買い出しの段取り。
北海道の田舎暮らしは、季節と無関係ではいられない生活です。

便利さだけを求めるなら、もっと違う暮らし方もあったと思います。
けれど私は、この森で暮らす中で、
食べること、整えること、手をかけることの意味を、何度も実感してきました。

たとえば、あり合わせの野菜でスープを作ること。
その日の気温や体調に合わせて、温かいものを用意すること。
派手ではなくても、ちゃんと身体が落ち着くごはんを作ること。

そういう積み重ねは、私の暮らしそのものであり、
そのまま、料理教室や食事の場の土台にもなっています。

森で暮らすことと、食の仕事をすること。
私の中では、その二つはきれいに分かれているわけではありません。

暮らしの中で感じたこと、助けられてきたこと、
その実感ごと手渡したいと思うから、私はこの場所で続けているのだと思います。

人間としての普通の暮らしを『丁寧に』重ねて生きたい。
共感してくれる人たちが集まる場と時間を共有しているのです。

森の家で少人数の参加者と行っているヴィーガン料理教室の様子

森の家で開く、小さな料理教室の風景

料理教室を始めた理由は、料理を教えるためだけではない

料理教室というと、
「レシピを覚える場所」
「上手に作れるようになる場所」
そんなイメージを持つ人も多いかもしれません。

もちろん、それも大切です。
でも、私が料理教室をしたいと思った理由は、そこだけではありません。

私が本当にやりたいのは、
食を通して、少し気持ちがゆるんだり、
自分の暮らしを見つめ直せたりする時間を作ること
です。

忙しい毎日の中では、食事がただ「済ませるもの」になってしまうこともあります。

お腹が満たされればそれでいい、作ることは面倒、台所に立つ余裕もない。
そんな日も、もちろんあると思います。

でも本当は、食べることはもっと静かで、深い力を持っているものではないでしょうか。
何を選ぶか、どう作るか、どんな気持ちで食べるか。
その積み重ねは、思っている以上に、その人の暮らしや心持ちに影響しているように思います。

だから私は、ただ料理を教えるのではなく、
食べることを通して、自分を整える感覚や、
暮らしの中の心地よさを思い出せるような場をつくりたいのです。

本当は食べることって、もっと深いものだと思っています。
何を選ぶか、どう作るか、どんな気持ちで口にするか。
そういうことは、その人の暮らし方や心の状態にも、
ちゃんとつながっていくものです。

身体は食べたもので出来てるから。

器によそった温かい味噌汁の一杯

ほっと心と身体がゆるむ、一杯の味噌汁

だから私は、料理を「教える」というより、
一緒に感じる場、一緒に整える場として、料理教室を続けたいのだと思います。

ヴィーガンの食事は、特別な人のためだけのものではない

私が提供しているのは、ヴィーガンの食事です。
けれど、それは何かを厳しく制限するためのものではありません。

何かを厳しく制限したり、立派なことを目指したりするためではなく、
最近ちょっと身体が重いなとか、食べるものを少し整えたいなとか、
そんな気持ちから入ってもいいものだと思っています。

身体にやさしいものを食べたい。
重たい食事が続いて少し疲れている。
動物性を控えたい理由がある。
あるいは、ただ一度、こういう食事を味わってみたい。

きっかけは人それぞれです。

ヴィーガンという言葉に、少し構えてしまう人もいるかもしれません。
でも実際には、野菜や豆や穀物を使って、ちゃんと満足できる食事は作れます。
豪華でなくても、身体に無理がなく、食べたあとにほっとできる。
私は、そんなごはんを大切にしてきました。

料理教室でお伝えしたいのも、難しい技術ではありません。
毎日の暮らしの中で、無理なく取り入れられること。

特別な材料がなくても、自分の台所で続けていけること。
そういう現実的なことを大切にしたいと思っています。

家でひとりでも再現しやすいこと。
そういう現実的なところから始められるお料理です。

小さく開くからこそ、できることがある

森の家で用意したヴィーガンのメイン料理

季節の野菜を使って仕上げた、森の家のヴィーガン料理

毎日営業ではないからこそ、できることもあります。
たとえば、来てくださる方と、ゆっくり言葉を交わせること。
その日の空気や体調に合わせて、食事や時間の流れを整えられること。
私自身が無理をしていないからこそ、落ち着いた気持ちでその場を開けること。

「フードセラピー森のいえ」は、大きなお店でも、
いつでも開いている教室でもありません。
森の中で、時々ひらく小さな場です。

けれど私は、その小ささの中にこそ、できることがあると思っています。
たくさんの人に一度に届けることはできなくても、
ここへ来てくださった方と、その時だけの時間を一緒に囲むことはできる。

慌ただしさの中ではこぼれてしまうような小さな気持ちや気づきも、
こういう場だからこそ受け取れることがあるように思うのです。

立派な施設でもなく、有名な教室でもないけれど、
ここで過ごした時間が、誰かの心にあたたかく残るなら、それで十分。
今の私には、その形がいちばん合っているのだと思います。

それで十分だし、今の私には、その形が合っています。

これからも、今の自分に合う形で続けていきたい

年齢を重ねると、若い頃と同じようにはできないことも増えてきます。
体力も、気力も、時間の使い方も変わっていきます。

でも、その代わりに見えるようになったこともあります。
頑張りすぎると続かないこと。

無理に形を大きくしなくても、できる仕事があること。
暮らしに根ざした仕事の方が、自分には向いていること。

毎日店を開かない。
たくさんの予約を詰め込まない。
今の生活と両立できる形で、料理教室や食事の場を続けていく。

それは遠回りに見えるかもしれません。
でも私にとっては、これが今のところ、いちばん自然なやり方です。

森で暮らしながら、食の仕事をする。
その形はこれからも変わっていくかもしれません。
それでも、食べることの大切さや、
誰かと同じ食卓を囲む時間のあたたかさは、手放さずにいたいと思っています。

これからも、今の私に合う形で、
小さくても確かな場を、少しずつ続けていくつもりです。

北海道の森の中に建つ森の家の外観

この森の家から、今の暮らしと食の仕事が始まっています

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