腸が整うと、人生の選び方が変わる|8年続けている私の腸活習慣

Veganカレーです。野菜の甘みと水分だけで作ります。体に優しいカレーです。 veganの意味

「腸は第二の脳」と言われますが、
最近では“第二”どころではないとわかってきました。

腸内環境は、不安の強さやリスクの取り方、
さらには社会的な行動にまで影響するといわれています。

私はこれまで、腸活を意識したveganランチを提供してきました。
振り返ると、それは単なる健康法ではなく、
人生の選び方を変えていく時間でもあったのです。

私が8年続けている、朝のファイバーとプロテイン

朝のスムージー。ファイバーと果物野菜と豆乳入りです。

私が使っているのは、メラルーカのファイバーとプロテイン。

どちらも数種類の味があって、
ローテーションしながら続けています。

お水で粉を溶くだけ、とても簡単。
多少の粉っぽさはあるけれど、私は気になりません。

満腹になるほどではなく、
「ちゃんと朝ごはんも食べたい」私にはちょうどいい量。

忙しい日はこれだけでもしばらく満足できます。

夏は少しアレンジします。

フレッシュな葉物野菜や、
季節のフルーツと一緒にミキサーにかけてスムージーに。

水だけで溶くのもいいし、

豆乳が残っていれば加えたり、
自家製の豆乳ヨーグルトもよく使いました。
ジャムの瓶を最後にすすいで、その液を使ったりも(笑)

きっちりしていないところが、
私の腸活らしいでしょ?

森の朝と、スムージーの時間

釧路で民泊をしていた頃、
外国からのお客さまは朝食を軽めに済ませる方が多かった印象です。

前夜のうちに確認して、朝食はジャパニーズスタイルだと告げると
喜ぶ人もいたけど、食べないからいらないと言う人も多く

そんな時、このスムージーをすすめると
とても喜んでくれました。

身体にすっと入る感じがする、と。

ああ、やっぱり腸は正直なんだなと思ったものです。

ファイバーを8年以上続けてきて思うのは、
腸が安定していると、心も安定するということ。

プロテインについては、年齢的なことも考え
途中で追加して飲み始めました。

どっちも 飲みやすくて、飽きません。

腸は「第二の脳」ではなく、
意思決定にも直接関与しているほど重要な臓器。

そんな言葉を読んだとき、
私は驚かなかったのです。

知識ではなく、体感として、
ずっと知っていたから。

ヴィーガンや腸活というと、
美容のため、という印象があるかもしれません。

けれど私にとっては、
それだけではありませんでした。

もともと私は、口内炎ができやすい体質でした。

けれどファイバーを続けて半年ほど経った頃、
ふと気づいたのです。

「あれ?最近、口内炎できてない」
前は、疲れがたまるとすぐにできていたのに

意識していなかったからこそ、
その変化は確かなものでした。

腸活は美容のためだけではない

肌荒れも減りました。

腸壁の状態は、肌に出ると言われています。

便通も私は普通と思っていました、
苦しんだ経験がほとんどないからです。

でも、ファイバーを続けていくうちに、
「ああ、これが本来の健康なんだ」と体でわかるようになりました。

証拠をお見せできないのが残念ですが(笑)

体から出ていくものの質が変わると、
体の中が整っていることがわかります。

腸が荒れているとき、
体のどこかに炎症が現れる。

口の中や、皮膚の表面に。

だから私は、
肌の調子を見るとき、
まず腸を思い出します。

美容のために始めたわけではないけれど、
整ってくると結果として肌も整う。

それは外側の問題ではなく、
内側が静かになった証なのだと思っています。

腸が安定すると、心も安定する

不思議なもので、腸と心はどこかでシンクロしています。

腸内の環境が整うと、
精神のバランスも自然と穏やかになるんです。

そう言うと、笑う人もいますよ。
関係ないでしょ〜って

けれど私は、暮らしの中で何度も見てきました。

いつも不機嫌そうな人や、
何をしても楽しそうに見えない人。

そんなとき、
私はそっと思うのです。

もしかしたら、腸が疲れているのかもしれない、と。

便秘だったり、
眠れていなかったり、
体のどこかに炎症があったり。

だからもし、
そういう上司や同僚に、八つ当たりされたら、

そっと距離をとって、

「あら、腸内環境が大変なのかもしれないな〜」
それくらいで流していい。

あなたが背負うことではありません。

腸が静かな朝は、心も静かです。

そうやって安定した1日を始めるのがいいのです
あとは、なるようになる。

今日も、精一杯、楽しんで生きる。

それだけです。

腸を整えるために、私がやめたこと

腸を整えるために、
特別なことを足したわけではありません。

ファイバーやプロテインは飲み続けていますが・・・

むしろ、やめたことのほうが多いのです。

・食べすぎない
・怒ったまま食べない
・夜遅くに詰め込まない
・不安なニュースを見ながら食べない

どれも当たり前のことのようですが、
これを意識するだけで、腸はずいぶん静かになります。

怒りながら食べると、
体は戦闘モードのまま消化を始めます。

不安なニュースを見ながら食べると、
腸は安心できません。

だから私は、
食事の時間をできるだけ穏やかにする。

子どもを育てていた頃も
食卓テーブルの横にテレビを置かなかったし
出かけた先で食事を摂る時のテレビは消しました。

おいしく食べることが、
用意してくれた人への感謝だと思うから

それだけです。

腸は、食べたものだけでなく、
そのときの感情も一緒に受け取っているのかもしれません。

いただく、ということ

調味料を作ってくれた人がいて、
野菜を育ててくれた人がいて、
魚を獲ってくれた漁師さんがいる。

動物を、食べ物として差し出してくれた人もいる。

私たちは、それらすべてを「いただく」。

その背景には、
たくさんの手と時間と命があります。

だから私は、
怒ったまま食べないようにしているんです。

不安なニュースを見ながらも食べないようにしています。

それは腸のためでもあるけれど、
食べ物への敬意でもあって
作ってくれた人への感謝でもあると思うから。

美しい日本語「いただきます」

日本語の「いただきます」は、
とても美しい言葉だと思っています。

食材を作ってくれた人。
運んでくれた人。
調理してくれた人。

そして、命そのものへの感謝。

お金を払っているかどうかとは、
全く違うところにある言葉。

私は、
感謝の方向が一つではないことを
この言葉から感じます。

給食費を払っているから言わなくていい、
という考え方もあると聞きましたが

でも私にとっては、
「いただきます」は契約の言葉ではなく、
感謝の姿勢です。

だから今日も、静かに言います。

いただきます、と。

感謝の習慣について

以前、ある学校では、給食の時間に
「いただきます」を言わないことにした、というニュースを見ました。

理由は、保護者が給食費を払っているのだから
その言葉はおかしい、というものだったそうです。

そのとき、私は少し悲しくなりました。

お金を払っているかどうかとは
別のところにある言葉だと思っているからです。

「いただきます」は、
対価の確認ではなく、
命と手間への感謝。

そして、
自分が今ここで生きていることへの感謝そのものでしょう?

そしてまた、お店で食事をして、
会計のときに「ごちそうさま」と言うのは
かっこ悪い、という話も耳にしたことがあります。

けれど私は、
それをかっこ悪いとは全く思いません。
「おいしかったです。ごちそうさまでした。」言いますよね?

むしろ、
きちんと受け取ったことを伝える姿勢は
静かで美しいと思っています。

だから私は、今日も言います。

いただきますごちそうさま、と。

腸が静かであることも、
きっとその延長線上にあるのだと思うからです。

今、閃きました
美しい言葉は美しい腸への道だと思ってます。

持論ですが・・・(笑)

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