移住して35年たつのか・・・そう思ったと同時に、気がつけば65歳になっていました。
年金受給の案内が届き、手続きに行って、ようやく実感したのです。
私はもう65歳、いわば「老人一年生」。
特別な成功も大きな資産もなく、失敗や遠回りのほうが多かった30年です。
「こんなはずじゃなかった」と思った日も、正直、何度もありました。

けれど今、はっきり感じることがあります。
移住とは、ただ場所を変えることではなく、「生き方を選び直すこと」だった、と。
この記事は、同じように人生の節目で迷っている方、特に「もう年だから」と一歩を諦めかけている方に向けて、ひとつの実例としてお伝えするものです。
人生は、何歳からでも選び直していい。そう思える話になればうれしいです。
どうして移住をしたのか|「逃げ」ではなく最初の選び直し
東京暮らしをやめて北海道を選んだのは、夫の出身地だったからです。
正直に書くと、当時の私は、毎年夏に1週間の帰省がとても苦しく感じられていました。
若く、物事を真正面から受け止めすぎる性格で、その緊張をうまく受け流せなかったのです。
子どもの環境への不安や現実的な条件も重なり、移住先は北海道という状況でした。
当時の私にとって一番大きかったのは、毎年の帰省という緊張の時間がなくなること、それだけでした。
今なら笑って流せることも、当時はできなかった。
心が追い込まれていた私を察して、夫は自分が小学校6年生まで過ごした町を提案してくれました。
距離があれば、心も少し離れられる。北海道移住の背景には、そんな事情がありました。
あれが「逃げ」なのか「選択」なのか、当時は分かりませんでした。
けれど今なら言えます。あれは、私が自分を守るために選んだ、最初の「選び直し」だったのだと。
移住で変わったこと|「できない」を書き換えた時間
変わったことは、たくさんあります。
まずは車の運転。北海道で暮らすには車は生活の一部ですが、当時の私は免許取得から10年近く
ほとんど運転していないペーパードライバーでした。
最初は近所を一周するだけで手が汗ばみ、エンジンをかけるだけで心臓がバクバク。
それでも少しずつ、買い物へ行けるようになり、隣町へ行けるようになり、やがて長距離も怖くなくなりました。
今では宗谷岬まで車中泊の旅をし、フェリーに車を乗せて実家のある秋田へ帰ることもできます。
北海道への帰省のたびに呼吸が浅くなっていた私が、今は自分の意志でハンドルを握り、どこへでも走っていく。
移住は場所を変えただけではなく、私の中の「できない」を、ひとつずつ書き換えていく時間でした。
これは特別な才能の話ではありません。環境を変え、小さな一歩を重ねれば、
人はいくつになっても変われる、その実例として読んでいただければと思います。
「私って、本当はどうしたい?」と問えるようになった
北海道へ来てすぐ強くなれたわけではありません。最初は雪道の運転、慣れない土地、人間関係と、目の前の暮らしをこなすだけで精一杯でした。けれど森での暮らしは静かです。
東京にいた頃のような、誰かの目や評価のざわめきがない。その静けさの中で、ふと自分に問いかける時間が増えました。「私って、本当はどうしたいんだろう?」と。
それまでの私は、妻として、母として、嫁としてどうあるべきか
そんな問いばかりで、自分自身の希望を考えたことがほとんどなかったのかもしれません。
森の暮らしは、私に「ひとりで考える時間」をくれました。
今日はどこへ行くか、誰に会うか、何を食べたいか。そんな些細なことから「私はどうしたい?」と問いかけ、そうしてもいいと自分に許可を出す。
誰かの了承を待たなくていい、顔色をうかがわなくていい。
私の人生なのだから。小さな選択を自分で決める練習が、少しずつ私を変えていきました。
連鎖を止めると決めた日
大きな事件があったわけではありません。
怒鳴り声も劇的な出来事もなく、むしろ会話のない夫婦の生活が、森の中で静かに過ぎていきました。
小さな違和感、飲み込んできた言葉、「仕方ない」と言い聞かせてきた時間。
ある日、ふと気づいたのです。このままの関係を、娘たちが「普通」だと思ってしまうかもしれない、と。母として、それだけは残したくありませんでした。
誰かを責めたいわけではありません。ただ、私が変わらないと何も変わらない。
「生きるって素晴らしい」と思える生き方を、まず私自身が生きないと、娘たちにも伝わらない。夫のもとを去るという選択は、自分のためであり、同時に娘たちへの静かな決断でもありました。それが正しかったのかは今も分かりませんし、娘たちの戸惑いもありました。
けれどあのとき私は「もう充分やった、もういい」と、自分を守ることを選んだのです。
あれから17年、65歳になった今、私はようやく自分の人生を自分のものとして見られるようになりました。
遠回りも迷いも失敗も、すべては私が自分で選んできた時間だったのです。
「帰って来い」と言ってくれた人がいた
苦しかった頃、夫のもとを去る数年前に、兄にメールを送ったことがあります。
長文を読んですぐ電話をくれた兄は、「まず一回帰って来い。チケット送るから」と言ってくれました。
その一言に救われました。同じ頃、中学時代の友人からも「帰っておいで」という手紙が届きました。責めるでも励ますでもなく、ただ「帰って来い」と。
でもその言葉は、私に「帰れる場所がある」ことを思い出させてくれたのです。
もう少し頑張ろう、あと少し踏ん張ろう、と。
あのとき私は、ひとりで抱えなくてもいいのだと、初めて気づいたのかもしれません。
その気づきが、「私ってどうしたい?」と考えられるようになる土台になりました。
誰かに守られた経験があったからこそ、今度は自分で自分を守ろうと思えたのです。
もし今、当時の私と同じように出口が見えず苦しい方がいたら、どうかひとりで抱え込まないでください。
あなたにも、声をかけてくれる誰かが、きっといます。
同じように迷っている、あなたへ
65歳にもなれば、あとは静かに衰えるだけ——若い頃の私はそう思っていました。でも実際にその年齢になると、不思議なことに、内側はまったく終わっていないのです。
むしろ、やってみたいことがまだある。森の暮らしをもう少し整えたい。
ブログを細く長く続けたい。小さな旅にも、また出たい。
そしていつか、あのとき私が言ってもらったように、誰かに「帰っておいで」と言える側になれたらそう思っているのです。
これからの私の「やってみたいこと」を、整理してみました。
| これからやりたいこと | 内容 |
| 森の家の整備 | 少しずつ、自分にとって心地よい空間に育てていく |
| ブログの発信 | 私の経験が、誰かの「選び直し」のヒントになればと綴り続ける |
| 小さな旅 | 自分の運転で、まだ見ぬ土地の風を感じに行く |
| 誰かの居場所になる | いつか、私が救われたように「帰っておいで」と言える存在に |
娘たちは、奔放に生きた私を半分あきれ、半分見守りながら、付かず離れずの距離でいてくれます。「たまには帰っておいでよ」と言っても「うん、そのうちね」と笑う。
それがとても心地いい。世間のお婆ちゃんのように孫にお小遣いをあげられるわけでもなく、孫も欲しがらない。
それでも、無理のない距離でそれぞれの人生を尊重しながらつながっている。
私は、それで十分なんです。
私の人生は、終わりでも、まとめでもなく、まだ途中です。
身体機能は衰え、皺もシミも増えました。
それでも、帰って来いと言ってくれた人がいて、踏みとどまった私がいて、生き直すと決めた私がいて、今ここにいる。
だから、まだ途中。まだ選べるし、まだ変われる。やってみたいことが、まだあるのです。
あとは、怪我しないようにと、そう笑いながら、今日も森で暮らしています。
この記事は、私個人の経験を綴ったものです。もし今、つらい状況の中でひとりで悩んでいる方がいたら、信頼できる人や、お住まいの地域の相談窓口に、どうか声を届けてみてください。あなたの人生も、何歳からでも選び直していいのです。
これからやりたいことは、こちらの記事にも綴っています。よかったら覗いてみてください。


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