移住したら65歳になっていた|北海道の森で生き直すということ

北海道の田舎暮らし

移住して30年か〜って思ったと同時に
気がついたら、65歳になっていたのです。

年金受給の案内が届き、
手続きしに行って、初めて実感しました。

私はもう65歳・・・

老人一年生・・・

特別な成功もなく
大きな資産もなく

むしろ、失敗や遠回りのほうが多かったし
まだちゃんと落ち着いてない感覚のまま

どんどんと月日は過ぎたんですね。
「こんなはずじゃなかった」と思った日も、
正直、何度もありました。

単に年月だけ過ぎたつもりでも、今はっきりと
感じることがあります。

移住とは、場所を変えることではなく、
「生き方を選び直すこと」だったということ

もしあのとき、あの場所を離れていなかったら、
私はきっと、今も同じ問いを抱えたままだったでしょう。

65歳になって、ようやく気づきました。
人生は、何歳からでも選び直せるのだと。

どうして移住をしたのか

東京暮らしをやめて、
北海道を選んだ理由。

それは、夫の出身地だったからです。

夫の両親は、私との結婚を当初から喜んではいませんでした。
当時の私はまだ若く、物事を真正面から受け止めすぎる性格で、
その空気にうまく対処することができませんでした。

毎年夏に1週間、釧路へ帰省することが、
実はとても苦しかったのです。

「ならなぜ、そんな場所へ移住を?」
そう思われるかもしれません。

子どもたちの環境への不安もありましたが、
現実的な条件として、移住先は北海道でなければならない状況でした。

理由はいくつかありますが、
当時の私にとって一番大きかったのは、

毎年の帰省という緊張の時間がなくなること。

それだけでした。

今なら笑って流せることも、
当時の私はうまく受け流すことができなかった。

義両親の住むエリアを車で通過するだけで
呼吸が浅くなり、景色を見ることすら苦しくなる。

それほど、心が追い込まれていました。

そんな私を察して、
夫は、自分が小学校6年生まで過ごした町を提案してくれました。

距離があれば、心も少し離れられる。

そう思ったのです。

実は
北海道移住の背景には、そんな事情がありました。

当時の私は、それが「逃げ」なのか「選択」なのかも
わかっていませんでした。

けれど今なら言えます。

あれは、
私が自分を守るために選んだ
最初の「選び直し」だったのだと。

北海道移住で私の何が変わったのか

変わったことは、たくさんあります。

まずは、車の運転。

北海道で暮らすには、車は生活の一部です。
けれど当時の私は、免許を取ってから10年近く
ほとんど運転していないペーパードライバーでした。

最初は、近所を一周するだけでも緊張。

ハンドルを握る手が汗ばんで、
エンジンをかけるだけで心臓がバクバクしていました。

それでも、少しずつ。
本当に少しずつ。

買い物へ行けるようになり、
隣町へ行けるようになり、
やがて長距離も怖くなくなりました。

今では宗谷岬まで車中泊の旅をし、
フェリーに車を乗せて、実家のある秋田へ帰ることもできる。

あの頃、帰省のたびに呼吸が浅くなっていた私が、
今は自分の意志でハンドルを握り、
どこへでも走っていく。

移住は、場所を変えただけではありませんでした。

私の中の「できない」を、
ひとつずつ書き換えていく時間だったのです。

北海道移住で、「私ってどうしたい?」と考えられるようになった

北海道へ来てすぐに強くなったわけではありません。

最初はただ、目の前の暮らしをこなすことで精一杯でした。

雪道の運転、慣れない土地、人間関係。
毎日が小さな挑戦の連続でした。

けれど、森での暮らしは静かです。

東京にいた頃のような、
誰かの目や、空気や、評価のざわめきがない。

その静けさの中で、
ふと、自分に問いかける時間が増えました。

「私って、本当はどうしたいんだろう?」

それまでは、

妻としてどうあるべきか。
母としてどうあるべきか。
嫁としてどう振る舞うべきか。

そんな問いばかりで、
“私自身の希望”を考えたことが
ほとんどなかったのかもしれません。

北海道移住は、
私に“ひとりで考える時間”をくれました。

そして少しずつ、

誰かの期待ではなく、
自分の感覚で選ぶ練習を始めました。

最初は、小さなことから。

今日はどこへ行くか。
誰に会うか。
何を食べたいか。

そんな些細なことでも、
「私はどうしたい?」と自分に問いかける。

そして
そうしてもいいと、自分に許可を与えることができたのです。

誰かの了承を待たなくてもいい。
誰かの顔色をうかがわなくてもいい。

私の人生なのだから。と

連鎖を止めると決めた日

大きな事件があったわけではありません。

怒鳴り声が飛び交ったわけでも、
劇的な出来事があったわけでもなく

むしろ全く会話のない夫婦二人の生活が
森の中で静かに過ぎていきました。

小さな違和感。
飲み込んできた言葉。
「仕方ない」と自分に言い聞かせてきた時間。

大きなため息。

ある日、ふと気づいたのです。

このままの関係を、
娘たちが「普通」だと思ってしまうかもしれない、と。

私は、母として
それだけは残したくありませんでした。

誰かを責めたいわけではありません。

ただ、私が変わらないと何も変わらない。

連鎖を、止めよう。

夫の元を去るという選択は、
自分のためでもありましたが、
同時に、娘たちへの静かな決断でもありました。

それが正しかったのかどうかは、
今も分かりません。

勝手な行動に娘たちの戸惑いも、もちろんありました。

けれど、あのときの私は
確信していました。もう充分やった。

ここで、止めるのだと。

あれから17年が過ぎ、65歳になった今、
私はようやく、自分の人生を自分のものとして見られるようになりました。

遠回りも、迷いも、失敗も。
すべては、私が自分で選んできた時間だったのです。

 

帰って来いと言ってくれた人がいた

苦しくて辛かった頃、
兄にメールを送ったことがあります。

夫の元を去る数年前のことでした。

長文のメールを読んですぐ電話をくれた兄は
「まず一回帰って来い。チケット送るから」

その一言に、私は救われました。

同じ頃、中学時代の友人からも
「帰っておいで」という内容の手紙が届きました。

責められたわけでも、
励まされたわけでもありません。

ただ、「帰って来い」と言われただけ。

でもその言葉は、
私に“帰れる場所がある”ことを思い出させてくれました。

だからもう少し頑張ろう、あとちょっと踏ん張ろう
そんなふうに心が救われたのです。

あのとき私は、

ひとりで抱えなくてもいいのだと、
初めて気づいたのかもしれません。

そしてその気づきが、
少しずつ「私ってどうしたい?」と
考えられるようになる土台になりました。

誰かに守られた経験があったからこそ、
今度は自分で自分を守ろうと思えたのです。

私の人生は、まだ途中

私は一度、心が死にかけたことがあります。
でも、生きることを諦めなかった。

遠くからでも気にかけてくれる人がいて、
「帰って来い」と言ってくれる人がいて、

その言葉に、何度も救われました。

あのとき、諦めなくてよかった。

だから今また、
私は「生き直す」と言えるのです。

みんなに、感謝しています。

老人一年生の65歳になって、
ようやく思えることがあります。

終わりではなく、
まとめでもなく、私の人生は、まだ途中なのです。

確かに身体機能は衰えました。
顔の皺もシミも増殖中です(笑)

これまでの時間は、
遠回りも、迷いも、失敗も多かった。だらけだった。

帰って来いと言ってくれた人がいて、
踏みとどまった私がいて、
生き直すと宣言した私もいて

今ここにいる。
だから、まだ途中。
まだ、選べる。

まだ、変われる。

まだ、やってみたいことがあるのです。

まだ、やってみたいことがある

65歳にもなったら、
あとは静かに衰えていくだけだと、
若い頃の私は思っていました。

でも実際にその年齢になってみると、
不思議なことに、内側は全く終わっていないのです。

むしろ、
やってみたいことが、まだある。驚きです(笑)

森の暮らしを、もう少し整えてみたい。
ブログを、細く長く続けてみたい。
小さな旅にも、また出てみたい。

そしていつか、

あのとき私が言ってもらったように、
誰かに

「帰っておいで」

と言える側にもなれたらいいと思っているんです。


娘たちは、奔放に生きた私を
半分あきれ、半分見守り、

付かず離れずの距離でいてくれます。

「たまには帰っておいでよ」と言っても、
「うん、そのうちね。行けたらね。」
そんな反応です(笑)

でも、それがとても心地いいのです。

世間一般のお婆ちゃんのように、
孫にたくさんのお小遣いをあげられるわけでもありません。

そして孫も、欲しがらない(笑)
ないのを知っているから。

それでも、
無理のない距離で、
それぞれの人生を尊重しながら、つながっている。

私は、それで十分なんです。

私の人生はまだ『途中』
あとは怪我しないように生きるだけなんです。

これからやりたいことは
こちらの記事に置きました。

よかったら覗いてみてください。

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